Diary 2011. 3
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3月27日 (日)  

今日は東京。地震でずれた家具のメンテに板橋区のお客様宅に伺う。特に問題なくネジのまし締めだけで終了。2Lの天然水2本を置き土産で置いていく。

そこから雪が谷と下野毛の親戚宅へ向かい50Lばかりの水を届けて回る。
この50Lは浄水器を通した長野の水道水である。

そこから横浜のお客様宅を回り、「通りすがりです」と言いながら、2Lの天然水3本を置き土産で置いていく。

それから永福に娘をおろして22時帰宅す。

もちろん長野でも水の販売規制はあるが、たぶん首都圏の比ではなく、取り合えず一人、2L×6本入り一箱は買える。当初は娘の為に持って行ったのだが、おすそわけである。又送ればいいこと。

どこでも喜んでもらって良かった。


3月22日 (火)  経済

各地のホテルや温泉宿はキャンセルが相次ぎ、東北では今春新採用の内定も取り消されたケースも聞こえてくる。

この三連休は当地もお客様はまばらだった。
心情的に行楽と云う気になれないところだが、過度の娯楽は避けるにせよ被災地以外で経済をまわし援護する事も必要であろう気がする。


3月21日 (月)  風評

ふうひょう【風評】
(よくない)うわさ。世の中の取りざた。
大辞林 第三版


「あそこのホウレンソウは駄目だよ」とか「あそこら辺の近海物は駄目だよ」なんておばちゃんが言い触れて歩いてなんかいない。
風評被害なんて言葉、もはや当てはまらない。かわいそうな話だが誰もが心の奥で同じ様な事を思っている。

極東の小国、世界の人は、あそこら辺じゃなく、日本丸ごとそんな目線で見てるんだ。


3月20日 (日)  頑張れ日本丸

11日、震災の日、渋谷に居た娘への携帯はつながらず、SMSなどのショートメールがかろうじて遅れて受信出来、何とか無事を確認。
当日は渋谷から永福町のマンションまで歩いて帰ったようで心配したが、
親の心配をよそに途中下北のバイト先(飲食関係)に寄り、夕飯を食べて帰ったようだ。
やたら先ばかりの不安を気にする私らとは違い、若い世代はケセラセラといった所である。
東北の被災地でも、いい意味悲壮感の無い若い世代に希望を見いだせるのが救いである。
頑張れ東北、頑張れ日本。


3月19日 (土)  原発

福島原発事故について、政府や報道機関はパニック抑止だけを伝える事に必死のようにも思える。you tubeを覗くと広○隆氏がTV報道に出てくる大学教授をはじめとする解説者をミソ○ソに切り捨て、非常に高い危機感で訴える。

同じく大○研一氏も福島原発事故とこれからに、理路整然と解説してくれる。
再生回数も跳ね上がり、多くの民がそれなりに知恵と知識を付けている。

それにしても原発が心配である。


3月18日 (金)  原発

原発で検索すると上位でヒットする平○憲○氏の文献、
昔からかなり有名な文書のようで、それに対する賛否両論があるようだ。両論どちらも自分なりに理解しニュートラルな立場で考えてみる。しかしながら原発反対派の指摘してきた事が現実におきつつある。

高木仁三郎氏の本は今回の災害を予言していたかのようである。「原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)」


3月17日 (木)  帰宅難民

帰宅難民と言う言葉はいつ生まれたのだろうか?

原発の事もあり16日、長女を東京から帰郷させた。
過敏に反応したくないのだが春休み中の彼女が居る必要もなく、人口過密の首都圏では生活難民になる可能性もありうると判断したからである。それにしても原発が心配である。


3月16日 (水)  震災

娘のラケットを取りにスポーツ店にいく。ついでにアウトドア用品売り場を覗く。ガスボンベの制限である。あるだけまだいいほうか・・?

そこからまわり、100個注文頂いている時計の電池をホームセンターへ買いに行く。単三はまだあるのだが、単一は完売。「買占めはお控ください」との表記に、単三100個の購入は諦めた。ホームセンター自体の照明も半分程の点灯である。

そこからまわり、ガスの補給にスタンドへ。道すがらの小さなスタンドは売り切れで閉店の表示。大きなスタンドへ入るが20Lの給油制限である。

震災に直接被害のない長野地域でもすでに、電池、米、インスタント食品、ベビー商品などが売り切れである。

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3月15日 (火)  震災

会議で松本に向ってます。長野道はいつもより交通量が少なめです。皆80km程度の省エネ運転。抜かす人殆どいず、影響出てます。

松本で給油を試みるが帰宅時間帯も重なり、スタンドへの車列が長く、諦める。


3月13日 (日)  震災

11階のマンションにお住まいの東京のお客様よりtvボードがずれたと連絡が入る。

仙台が故郷の東京の知人に電話がつながる。仙台の両親とは連絡がつかないらしい。会社経営をしてる彼は今後の日本経済も心配だと言っていた。


3月12日 (土)  東北地方太平洋沖地震02

午前4時前、揺れで目を覚ます。嫌な予感がした。地盤の固い小布施でそこそこ揺れたので、東北で本震を上回る地震か・・?
素早くテレビをつけ確認をすると長野県北部で震度6強の速報。近い所での強い地震に驚く。しばら余震が続くが何事も無く治まるが、応力のバランスが崩れたのか?あちこちで揺れている。なんとかこれ以上の被害が出ない事を祈るばかりである。


3月11日 (金)  東北地方太平洋沖地震01

まさに絶句である。海水が川の様に内陸へと遡上していく。
家も車も呑みこんで。想像を絶する光景である。被害が最小限にとどまる事を祈るばかりである。