Diary 2007. 7
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7月19日 (木)  本日の試合

本日の試合は昨年優勝の東町チーム。
やはりその実力は小布施NO1か!
8-2で迎えた最終回5点追いつかれたが危うく勝利。
4勝の矢島ソフトを追撃すべくわがチーム3.5勝!「サーバッチ来い」




7月13日 (金)  贅沢な遊び

本日は地蔵チームとの練習試合。
大の大人が20数人、ナイター照明つけて「ナイバッチだのナイッサーだの」。
試合後の懇親会で「あーでもない、こーでもない」と野球談義。

まったく贅沢な遊びである。


7月10日 (火)  本日のナイターリーグ。

本日のナイターリーグ。
本日はエースの郁恵ちゃんを温存。
監督は5点までならやるつもりで、控えの英ちゃんを先発。
ファーボール・デットボールの連続でノーヒットで6点献上。監督がちと遅い交代。
サー追い上げるぞ。
しかしちょっと狂ったリズムでの追い上げは苦しく、何とか同点で終了。
まーしゃーない!


7月9日 (月)  昭和30〜40年代

で、話は戻るが。
なぜハゲが出来たのか?
両親は忙しく商売をしていた。当然三人兄弟の末っ子である私にまで目がいかず、
好き勝手に動き回る私は、当然のごとく鉄のフレームで出来た陳列台の角に頭をぶつける羽目になる。
上手に縫ってくれる医者なら、傷もほとんど目立たずにすんだろうが、昭和30〜40年代の頃である。
全てがおおらかで、「ツバでもつけとけきゃ直るわい!」そんな時代である。

姉二人と姉の友達、右端の裸が私である。何で俺だけ裸やねん!!

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7月4日 (水)  プチ旅行

午後からの休みを利用して、小雨そぼ降る中史跡めぐりに行く。
目下、風林火山で脚光を浴びている信濃の地。
まずは自宅から小一時間にある武水別神社(千曲市)。
信玄、謙信共に戦いの前に詣でた神社である。
近くは何度となく通過するのだが境内に入るのは初めて、
作りのすばらしさと珍木に圧倒される。

そこからナビで近場の見所を検索。同じ千曲市にある大雲寺に行く。
城郭を思わせる高い石垣とアジサイがすばらしく、
人知れずひっそりとあるのがもったいないくらいの見事な
寺である。小布施にあれば観光名所なのに・・・と・・。

そこから坂城町に飛び、坂木宿ふるさと資料館に行く。
言わずと知れた村上義清を初めとする資料が展示され、
まさにタイムリーな時期の訪問であった。

近場でもすばらしい所がたくさんある事を痛感した、
午後の休みを利用した本日のプチ旅行であった。

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7月3日 (火)  運命

野球を諦めたとある事情とは・・・

坊主になるのが嫌だったからである・・・。
頭の左上にハゲがある・・・、今ならさも無い些細な事。
思春期とはそんなもんである。そんな訳で運命も変わった訳だ。


7月2日 (月)  野球

高校時代、本当は、野球をやりたかった。
中学時代、通学区内で野球が強い高校は須坂商業であった。一度甲子園にも出た事がある公立高。
でもとある事情で野球はあきらめた。

そんなこともあり、この年になって、ソフトボールチームを立ち上げたのかもしれない。